2019年、日本の家族と話して一時的に母を香港に呼び寄せようと決めたのが7月中旬。当時は平和的デモだったので、特に心配はしていませんでした。
しかしそうこうするうちにデモが過激化。だんだん少人数であちこちに出没する人が増え、しかも場所の特定が難しいことから、毎日出かける前に地下鉄情報を確認する癖がついてしまいました。
さてそんな状況でも予定通り親を呼ぶのか、しかも高齢の母を、と考えたところで思考が止まってしまい、なかなか次に進みません。母が一人で出かける可能性は非常に少ないことを考え、しかも私が関空と香港を往復するのであれば、特に危険はないのではとも言えます。しかしながら、「わざわざこんな時期に呼ばなくても、もっと落ち着いてからの方がゆっくりできるんじゃない?」という声も時々聞こえてきて、躊躇している間に一日一日が過ぎているという感じでした。
大きな原因は香港政庁が緊急措置をとる可能性がゼロではないと聞いたからです。最近はローカルニュースで、60年代にこの措置(空港閉鎖など)が取られた時の様子を取材しているのも多くテレビで放送されていて、見るたびに益々気持ちが引いていく、前向きになれないのです。
ここまで書いて改めて親を呼びたい理由と目的を考えてみました。
山が好きな母とハイキングへ行くことや、中華などの手料理を一緒に食べたりして時間を過ごすことが目的です。そう考えると、この2つについては、時間と場所を選べばこの状況下でもクリアできそうな感じがしてきました。
そして最終的には予定通りに彼女を連れて9月中旬香港に戻りました。それから約6週間、自分なりに頑張ったと思っていました。
毎朝、朝食と昼食の用意をしテーブルに乗せてメモを添える。午後には必ず電話をして様子を確認。
いつも母が来ると食事をする友人たちに連絡し外食したり自宅で食べたりするプランをたてる。
今回は一カ月半の滞在だからと、近場へ旅行に行くことにし、義姉たちもさそって総勢5名で韓国旅行を計画・実行。彼女が大好きなハイキングやお寺参りも忘れずに。
今から思い返しても完璧なプランのはずだったのですが、しかし問題は母の体力(の低下)を考えていなかったこと。昨年できたことが今年もできるとは限らないということを失念していました。完全に私のミスです。
大好きだった「歩くこと」も今の彼女にはそこそこにすべきだった。だから2時間のハイキング後足が痛くなり、その状況が長く続いていました。病院で鍼をしてもらっても回復には時間がかかりそう。
そんなある夜、お医者さんから勧められた治療を自宅でしながらふと母がつぶやいた。「もう(残りの時間が)長くないんだから、別に何もしなくていいよ。」これは彼女の本音なのか、それとも私に対する慰めなのか。
自分の体力の衰えを一番感じているのは母自身であるはずなのに、こんなアレンジをした娘の失敗についてはすっかり忘れてしまったのだろうか、責める言葉は一言も無く。だからこそ胸が痛いのです。
最終的には予定通り6週間の滞在を終え10月末に無事帰国しました。帰国したとたん、母の足は何事もなかったかのように普通に戻り香港で毎日医者に通ったのは何?と首をかしげるほどでした。やっぱり日本に居たいんだ、この人。ということを改めて実感した6週間でした。